日本の銀行のはじまり

2015年9月8日

20080808124453!Old_Daiichi_Bank_Head_Office_1930

帝国主義が世界中を席巻し、列強が植民地政策を進めた19世紀後半、300年に及ぶ鎖国を解いて開国した日本は、欧米のシステムを取り入れ、近代国家の一員となることが急務とした。

近代的な金融システムの確立が急がれる中、日本政府は米国のナショナル・バンク(国立銀行)をモデルとした銀行を作るため、1872年・明治5年に国立銀行条例を制定した。

そこで、すでに銀行に近い業務を行っていた三井組と小野組という、江戸時代に御為替方(大坂御金増の幕府公金を為替によって送るのを請け負った商人組織)を務めていたふたつを合併させて「三井小野組合銀行」とし、国に国立銀行の設立を申請するという形式を取らせた。

こうして誕生したのが、現在、みずほ銀行・みずほコーポレート銀行となっている日本初の銀行「第一国立銀行」だ。みずほ銀行の金融機関コードが「0001」なのは、日本で初めて生まれたものだということによる。

初代頭取には官僚時代にこの銀行の設立を指導した、日本資本主義の父・渋沢栄一が就任した。

ちなみに「国立」というのは「国が設立した」という意味ではなく「国法により立てられた」の意味を持つ。そのため第一国立銀行は「国立銀行」という名称が入ってはいるものの、実質的には民間である。

資本金は三井組・小野組ともに100円ずつと、公募の44円の合計244円。このため第一国立銀行は日本初の株式会社と呼ばれることもある。

なお、第一国立銀行は1882(明治15)年に中央銀行である日本銀行が設立されるまで、紙幣の発行が認められていた。ただし兌換紙幣で金との交換条件が義務付けられたものだった。

その後、第二・第四・第五国立銀行が相次いで設立されたが(第三国立銀行は調整がうまくいかずに欠番になっていた)、政府発行の紙幣が増発されたこともあり、国立銀行券はただちに兌換されるなどで経営難に陥った。

そこで政府は1876(明治9)年に国立銀行条例を改正。それによって153の国立銀行が新たに設立された。これらの国立銀行は設立順に番号が振られ、それがそのまま銀行名となったことから「ナンバー銀行」と呼ばれることがある。

各銀行はそれぞれ銀行券を発券した。当初は兌換紙幣であったがやがて不換となった。

やがて1877(明治10年)の西南の役が起こり、戦費がかさんだ。このための政府紙幣が大量に発行され、それが原因でインフレが起こる。

1899(明治32)年に国立銀行の銀行券発行は停止され、日本銀行券のみに統一されることとなり、インフレの根源であった政府紙幣と国立銀行券は、次第に市場から回収された。








三枝
三枝

闘う元銀行支店長・三枝嗣典。関西アーバン銀行で支店長を務め、銀行業務の裏の裏まで知る男。資金調達のお悩み、すべて解決します。

三枝のほかの記事はこちら

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

*

*


関連するほかの記事